夏川草介「神様のカルテ」を読みました。
信州の地方病院に勤める医師のお話です。
大学病院の医局に勤めることが常道ななかで、
地方病院に勤めることに自らの道筋を見いだす、
そんな医師のお話です。
Seaoak の知り合いにも医師(の卵?)がいるのですが、
日頃はバカな話ばかりしているのが、仕事となると
このようなたいへんな状況かとおもうと、少しばかり
頭が下がる思いです(でも話してる内容は・・・
そんなお話の中で心にとまったひとことを:
しばしば医療の現場では患者の家族が「できることは全てやってくれ」と
言うことがある。五十年前までの日本では日常の出来事であったし、
その結果のいかんに関わらず、その時代はそれで良かった。
稚拙な医療レベルの時代であれば、それで良かった。
だが今は違う。
死にゆく人に、可能な医療行為全てを行う、ということが何を意味するのか、
人はもう少し真剣に考えねばならぬ。「全てやってくれ」と泣きながら叫ぶことが
美徳だなどという考えは、いい加減捨てねばならぬ。
ぼくら一般人は「できることを尽くすのが礼儀だ」というような気持ちを
持ちがちだと思いますが、そのようなきれいごとでは済まされない、
リアルな所感が表れていると思います。
大量の輸血を行い、昇圧剤をつかい、場合によっては人工呼吸器につないで
呼吸を確保する。うまくいけば数日は持ちこたえるかもしれない。
信州一帯の貴重な血液製剤を取り寄せて輸血すれば、安曇さんの心臓は
二日ぐらいは働いているかもしれない。
なすべきか、なさざるべきか・・・。
医師の権限のすさまじさは、これらの事柄がただちに実行できることにある。
ここには、医師の権限の大きさと、それに対する責任の重さが表れていると思います。
日常的にこのような判断を迫られている重圧を推し量らずにはいられません。
最後に、このお話を読んで、思い出した歌があります。
「明けない夜はない。止まない雨はない。そういうことなのだ、学士殿」
松本聖子「瑠璃色の地球」です。
iTunes Store で買おうと思ったらカバーしかみつからなくって、
とりあえずそれを聴きながらこの記事を書いています。
昔、合唱で歌ったことを思い出したりしました。
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追記: 「瑠璃色の地球」の歌詞を載せていたら、12年後になって JASRAC から申し立てがあったらしいので、とりあえず削除しました。(2022/Mar/19)